叶わぬ願い。
氷高 颯矢
本当は、全てを投げ出してしまいたい…。
そんな想いを誰かにわかって欲しい。私は、"私"なのだと言って欲しい。
だけど…私の想いは、決して口に出来ない理由がある。
これから、私が背負うべき運命の犠牲になった"もう一人の私"の為に…。
〜二の月、風の日〜
その日、一人の赤子が産声をあげた。
薄暗い、塔の一室。石造りの何の飾りもない部屋。
城内は静まり返り、閑散としていた。
「ライラ様、よくがんばりましたね…元気な男の子ですよ…」
幾分、年老いたその女性は、母親に赤子を見せる。
「男の子…」
「とても愛らしいお子様です。とても魔の血を引いているとは思えません…」
「ばあや…!」
ライラは声を荒げたが、産後の疲れから声が弱々しい。
「申し訳ございません、姫様。
後は、このばあやにおまかせください、必ず、立派にお育て致します…」
ライラは、父親である国王に出産の予定日を偽って教えた。
生まれた子は、魔族の血を引いている。
だから、生まれたらすぐに始末するように、と言われていた。
それを未然に防ぐには、出産の予定日を偽り、秘密に出産すること。
そして、始末したように見せかけ、誰かに預ける必要があった。
ライラは、自分の乳母にそれを頼んだ。
たとえ、ニ度と会えなくても、生きていてくれれば、それだけで良かったのだ。
「お願いね、ばあや…」
「はい、姫様…」
乳母の女性は、赤子をおくるみに包むと、胸に抱き、
ゆったりとしたショールでそれを隠した。
「名前は、リュート…リュートと名づけたの…」
「それでは、お別れでございます…」
「リュートを、その子をお願いっ…!」
ライラは涙を流した。
止めようとしても止まらず、次から次に溢れてくる。
「スウェイン…」
(約束通り、リュートと名付けたわ…貴方と私の、かけがえのない"愛の証"よ…)
ライラは心の中で問い掛けた。
全てを犠牲にしてでも付いて行きたいと思った、たった一人の相手に…。
先ほどの部屋とは、うってかわって美しい造りの部屋。
「そう、男の子だったの…」
「はい…リュートと名付けたそうです」
「ありがとう、カイザー…」
カイザーは軽く会釈をするように礼をした。
「乳母殿は、ご自分の孫として育てる事にしたようです。
御子は"死産"ということで、ご報告されたようです。
国王様がカトレア国に訪問されていたのは幸いです。
産声はあの塔の上ですから聞こえないでしょうが、
すぐに証拠の提出を求められる事もなく、すべての事が上手くいくことでしょう…」
「ライラお姉様の運が強いのか、
その子の運が強いのか…どちらにしても、良かった…」
「ライラ様は、リディア様に礼をおっしゃられてましたよ…」
カイザーは、優しい声で言った。
「私は、ライラお姉様に何もしてあげられなかった…
だから、せめて、その子を守ってあげる事が…お姉様の為になれば…
と、思ったの…。お礼を言われるような事じゃないわ」
そういうリディアを犠牲にするとわかっていて、
その恋を貫いたライラが受けた報いは、あまりにも大きかった。
リディアは自分を犠牲にされた事を恨みに思うより、もっと深く、同情の心を寄せた。
大好きな姉姫の不幸を自分の事のように悲しんだのだ。
カイザーは、今になって自分の行為を悔やむようになった。
ライラを、その恋人から連れ戻したのは、ほかならぬ自分だった。
その事によって、二人の姫を悲しませた罪は彼を苛んだ。
〜三の月、月の日〜
その日は、リディアの誕生日だった。
いつもなら、姉であるライラと共に国を上げて祝われる。
だが、今年は姉姫の姿はない。
嬉しいはずのパーティーも、そこに居るはずの存在の不在によって、
ポッカリと穴があいたように虚しい…。
「何を浮かない顔をしているのだ、今日はお前の誕生日ではないか」
「お父様…。私だけではありません…貴方の娘はもう一人…」
「ライラの事は口にするな!」
国王は、機嫌が悪くなった。
ライラの存在はもはや"禁忌"であった。
だが、珍しく国王はすぐさま機嫌を直した。
「リディア、お前にはこの国を背負ってもらわねばならん…
そこで、儂はお前に良い縁談を持ってきた。
相手はカトレア王国の元・皇太子、そして王弟でもある。
身分的に、これ以上の相手は望めんぞ!」
二の月のカトレア国訪問は、これが目的だったのかと今更のように納得がいった。
「お前は、断ることはできぬ…わかっているな?」
「――…はい、お父様…」
リディアは、立っていられそうになかった。
いつかは…こんな日が来る事を知っていた。
だけど、今更のように、自分に"自由"が許されていないことに絶望した。
「リディア様!」
「…カイザー?」
フラッとなったところを力強い腕で支えられる。
「大丈夫ですか?顔色があまり良くないようですが…」
「ごめんなさい…ちょっと、外の風に当たりたいわ…連れていってくれる?」
「はい…」
カイザーはリディアを気遣いながら外へと連れ出す。
「優しいね…カイザーは、いつも私に優しい…」
「どうされました?そのように言って頂けるのは、とても嬉しいのですが…」
心配そうな声、不安になったのだろう…弱気な言葉に…。
「私、結婚が決まったの…」
「それは、おめでとうございま…」
「そんなセリフききたくない…!わかってる…貴方がライラお姉様を愛してる事は…」
急に、言葉をさえぎられ、尚も畳み掛けられた言葉にカイザーは戸惑う。
「私は…それでも良かった…。貴方が優しくしてくれるだけで十分幸せだった…」
「姫…?」
カイザーはリディアの涙に気が付いた。
(綺麗だ…)
ぼんやりとカイザーはそれを見ていた。
まるで朝露のような、儚い雫が青い瞳に映えて宝石のように輝いている。
「…よ…なの…」
言葉が上手く繋げられない。リディアの言葉は意味を伝えられないまま、虚しく響く。
「リディア様…」
カイザーが、涙に震えるリディアをそっと抱きしめようとしたその時、
それはリディアに拒まれた。
「貴方は誰よりも優しいけれど…私を攫ってはくれないでしょう?」
リディアは、その場から駆け出した。
カイザーは、ただ立ち尽くす事しか出来なかった。
「私は…」
カイザーは、やり場のなくなった両手をゆっくりと握り締めた。
何となく、心が痛んだ。
かすかに触れたリディアの髪の感触が指に残る。
「リディア…様…」
――早春の風はまだ冷たく、月明かりがせつなさを煽る…夜。
本当は、抱きしめたかった。君を攫ってしまいたかった。
それは叶わない願い、秘められた想い。
君を思うが為に犯した罪が、ここに来て見えない鎖となって邪魔をする。
否、本当はただ怖かったんだ…あと一歩を踏み出す勇気がなかったんだ。
ここで一応、カイザー×リディアは区切りです。
その後もごちゃごちゃするけど、二人とも諦める心づもりになったという事です。
「抱きしめちゃえよ!」と言いたくなります。カイザーってタイミング悪いよな…